2020年になりました。
飯田橋にあるカウンセリングオフィス、サードプレイスのナカヤマです。
ショートカットにしていた髪が、年末からお正月にかけてずいぶんと伸びてボブのようになりました。
そして今朝、鏡に映った自分をみて、ふと、
『ノーカントリー』に出てくる悪役の男優に似ているな

とちょっと愉快な気持ちになって、一人フフフと、声に出して笑ってしまいました。
そして思いだしたのが、小学校2年生のときのことです。
当時流行っていたマッシュルームカットにされて学校に行った朝、ココロナイ男子から「キノッピー(知らない人はググってみてください。悪役のキノコです)」とか「キノコ」とからかわれて、私は心底傷ついたのでした。
今朝の私は『ノーカントリー』でも笑えるのに、子どものころの私は「キノッピー」レベルで、もう心が折れていました。そして、鏡に映る自分のマッシュルーム型のヘアスタイルを呪ったものでした。
この変化は、決して私の成長(加齢)だけによって起きたことではありません。なぜなら、人の心理ってものは、その単体のみで成り立つものではなく、いつもその人を取り巻く環境が大きく関わっているものだからです。
すなわち、「キノッピー」と呼ばれたときの私はまだ子どもで、自分で髪型を変えられるすべも、お金も持っていなかった、ということがあります。手でひっぱったって髪は少しも伸びてはくれませんでした。それに、そのマッシュルームカットは両親の意向であって、私個人としては、髪の毛を肩まで伸ばしてゴムで結わえてみたいとひそかに願っていたのです。
そんな状況から生じる私の心情に近いものは、「無力感」で、これがつまり、すべてのトラウマであったり、苦痛な記憶の核にあるものです。もし、この記憶がきちんと消化されないと、私は大人になっても「キノッピー」に思い悩むことになったでしょう。
ある事象に対して私たちが傷つくのは、周りの環境が私たちに味方してくれるものではなかったり、私たちが子どもだったりするが故に無力感を持つためで、私たちの個人的な資質(例えば性格や知能とか)がそれに及ぼす影響は比較的小さいものだと思っています。
そんなことを踏まえつつも、私の仕事は心理療法なので、今年も、みなさんの感情について、考えについて、そして身体の感覚について、何遍も尋ねるかもしれませんが、みなさんを取り巻く環境が実に大事ってことは、マッシュルームカットで身に染みていますよってことをお伝えして、新年のご挨拶にかえさせていただきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。